人を見る目が無い人って、本当に多い。
人を正しく見れないと、損をするのは自分自身だ。だから、人を、正確に見極めようと努力する。
だけど、人を見る目が無い人っていうのは、本当に多い。
人は、表面的に口で言っている事と、心で思っている事は異なっている事の方が多い。
例えば、本当は、○○というものが欲しいけど、自分に自信が無いし、自分には相応しくないと思うから、「欲しくない」と言ったりする。心の底では本当は、その仕事をやりたいけど、皆がやりたいから、自分は遠慮してやりたくない、と言ったりする。
もしくは、自分自身に弱さが有るのに、それを隠す為に、強く見せたりするような言動を取る。
他にも、本当は出来るけど、わざと出来ない素ぶりをすることだってあるし、又、本当は出来ないのに、出来る素ぶり(かっこう)を見せる人もいる。また、出来ていると思いこむ人もいる。
自分は、そんな裏表は無くて、単純だ!と思う人であったとしても、それは、自分を見えていないだけ。
表面的に見える事をそのまま、鵜呑みにして、あの人はこう言う人だな、と、レッテルを張る人は多い。でも、これって、人を見る目に関してあんまり能力が有るとは言えない。
口調がおっとりしていて、柔らかく、一つ一つのコミュニケーションに於いて、スパスパと返事をしたり、気のきいた受け答えを瞬時にしないからと言って、その人が、のんびりしている人だとは限らない。その人の人生を総合的に見て、何をやってきたのか見たら、ハードルの高い事をしてきている場合だってある。
又、逆に、口調がきびきびしていて、一つ一つのコミュニケーションに於いて、スパスパと返事をして、気のきいた答えを瞬時にしているからといって、その人が、のんびり屋では無くしっかりした人であるということは限らない。その人の人生を総合的に見て、何をしてきたのかを見たら、ハードルの低い事をしてきているだけだったりする。これって、ある意味で、のんびりしている。
自分が注目して、注意している事を、他の人は出来ていないからといって、その人が能力が足りないと結論づけるのは、本当に人を見る目が無いと感じる。
人を、自分の狭い尺度で判断し、この人は出来る、出来ないとレッテルを張って、出来る人からの意見は聞きたいけど、出来ない人からの意見は聞きたくない、と言うスタンスでいると、
他者から何も学べないし、自身の成長はそこで止まる。
何を重要視するかの違いで、決断が異なって行く
最近、他者との価値観の違いを発見させられる機会があった。
どんなことかというと、私は、常に、成長すること、理解することを最優先事項に於いているんだな~、と、改めて感じさせらた。それも、多くの人と比べ、その傾向が人一倍強いということ。
例えば、全ての決断に於いて、その傾向が現れる為、
多少、物事が完璧にできなくても、何かを学び、理解し、成長する事ができたなら、私の中で成功したと言える。で、成長する為の要素の一つには、やった事が無い物にチャレンジするという事が重要になるのだけど、そうすると、失敗は避けられなくなってしまう。
苦手でも、上手く出来なくても、経験することが大事という価値観は、失敗を多く経験する。けれど、内的成長が高まれば、今は、多少失敗してもトータルで出来る事のレベルが上がって行く。
また、チャレンジをしつつ、失敗を最小限にとどめるコツというものも磨いていく事もできる。
けれど、世の多くの人には、
その場を完璧にすることを最重要事項と於いている人も多い。物事を完璧にできると結果が残る。その為には、ベテランだけで役割を担い、ものごとに当たる方が良い、と考える。そうすることで、失敗は絶対にしない。だけど、ベテランも学びは少なく、ベテランで無いものも学びは少ない。
確かに、完璧を最重要視しなければいけない状況はある。だけど、今は、そうじゃない状況だと判断したら、完璧よりも成長の方へ瞬時に(私の中で)比重が置かれる。
これは、もう、出来る限り、成長の時間を取りたいから余裕はない。どれだけ成長時間を取れるのか?出来うる限り、目いっぱい取れるかが勝負になる。だけど、多くの人の価値観は違うから、なかなか、そういう時間は取れないという葛藤もある。
完璧に結果を残すことに貪欲になる人、と、成長することに貪欲になる人、これは、大きな価値観の違いなのだなと、改めて感じた。
前者は、細かい成功体験を多く積み重ね、多くの目に見える結果を出す価値観。
後者は、細かい成功経験の積み重ねは少ないけど、大きな成果を残そうとする価値観。なのかな~。また、後者の決断をする人と言うのは、役割や立場に執着が無い人なのかなと…。
決断についてとか、社内制度についてとか、色々。
<決断に付いて>
最近、短時間に決断しないといけない状況に追い込まれることがあって、次からもそういうことが起こったらどう対処をするべきなのか?準備をしておかないと、と思う。
※短時間で決断しないといけない状況というのは、例えば、負担が結構大きい重要な決断なのに、迷っている暇が無い、という状況。
で、自分の中で、すっきりと納得していないことは、最短で決断しない方が言い。よく考えないで流されたらそれこそ大損害を出してしまう。チャンスは逃すかもしれないけど、負担が有り、且つ、迷う様な決断ならNOと言った方がいい。
で、すっきりしないものというのは、決断が本当に微妙で、一見、正しくて納得してしまう様な提案や、常識でまかり通っている様なこと。だけど、微かな引っ掛かりを覚えたなら、安易に回答してはダメだということを肝に銘じておかないと。
で、こういう状況というのは、行き成りやってくるもので、心の準備が出来ていたらそれなりに対処できるのだけど、そうじゃないんですよね・・・。
<社内制度について思う事>
・頭脳優秀で、身体も頑丈、人生に於ける様々な不利な条件、負担を抱えていない人達だけで組織し、そういう人達だけしか受け入れられない社内制度というのは、はっきり言って、しょぼいな~と思えてしまう…。
思うのだけど、例えば、
難易度1から、難易度100の宿題(問題)がそれぞれ100個あって、その難易度が異なる宿題を、100人のプレイヤーに、それぞれ渡されるというゲームがあるとする。100人は、異なる難易度の宿題をするわけなのだけど、どの難易度の宿題をやるかは、100人のプレイヤーで相談しあって選択することができる。
同じ難易度は、一つもないわけだから、欲しい難易度の宿題が、他のプレイヤーと被れば、競争して取りに行くか、または、譲りあわないといけない。
そうした時に、難易度1のレベルが低い宿題を取りに行こうとする人は多い。そして、宿題を簡単にクリアして悦に浸るプレイヤーも多い。「どう、私できたでしょ?問題を一番のりで解けたわ!」という感じで・・・。
でも、それって、別の角度から見る人には、ものすごく「しら~~~」としてしまう…。それは、レベル1を解いただけでしょ?って。
実際に、プレイヤーは、その課題を解決する為に、乗り越える壁が低かった為に、学びんだことが少なく成長出来ていなかったりする。
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条件の良さは、有れば、有ったに、越した事はないけど、それを最優先にすべきじゃないし、不利な条件は引き受けて、それをどう改善して壁を乗り越えていくこそかが重要だと思う。そこに、強みが生まれるのだから。
不利な条件を、プラスに変えられれば、それは最強の強みになる。これは誰にも真似できない。逆に有利な条件は、一歩間違えるとマイナスにもなる。同じ条件を揃えたものに、すぐに真似されちゃうから。
技術力というのは、マイナスをどれだけプラスに持っていけるか?ということでもある。-100を、+100に持ち上げることは、技術力がある。だけど、元々、+90を持っていた人が、プラス100にするというのは、+10しか付け加えていないことになる。これって、技術力が有るとは言えないと感じる。
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また、何かを作りあげ達成するために、最高の条件を揃えて作り上げることは、例えば、こういうことだとしか思えない。
例えば、高級食材を揃えれば、調理の腕が下手くそでも、そこそこの美味しい料理ができる。だけど、食材が安いのに、美味しい物を作れるのは、本当に料理の技術が有るのだといえる。
で、条件の悪い中で、すごい物を作れる人に、理由もないのに、高級食材を使った方がいい、と言う助言は、今よりも、レベルを下げた方がいいと言う助言を言っている様にしか聞こえなかったりする。その高いコストを支払って、現状よりもより良いものが作れる保証はなにもないし…。
その高級食材をどうしても必要だから、使うというのなら良いけど、必要もないのに、単に、より良いものができそうな感じがするだけで、高級食材を使うというのは、コスト増になるだけだ。
ITベンチャーの競合他社におけるリスク対策について
最近思う事に、ベンチャー企業は、
「会社は、企画やアイデアが重要では無い。人が重要」と言う様な経営をしているDeNAと、サイバーエージェントに、注意しないといけないな~、と…。ITベンチャーは、ここらへんの事をリスク対策の一つの中に組み込んでおかないといけないかもしれない。 (※ちなみに、私は、企画も人も両方大切だと思っていて、企画ができるからこそ、人も大切にできると思っています。)
人が大切、企画は大切じゃない、という会社は、企画部分を、
ノルマを貸して社員に出す様に社内システムとして組み込んでいる。
なので、社内のビジョンや方向性というのは、これで決まり。
で、こうした社内システムの中で、企画班の社員がまずする事は、
ステップ1;世の中にあるサービスをぐるっと見渡して、金に成ってそうな奴を見つける。
ステップ2;見つけたサービスを企画書に纏めて、+αちょこっと改良して、提出する。
というもの。
ここらへんの情景が、なんかありありと目に浮かんでくるな~(^^;)
組織でやっていることだから、実行していく面倒な処理は別の社員。
だから、そのサービスに愛着無くても実現できる。大したエネルギーも情熱も掛けなくても良い。 また、会社で、やらされていることだから機械的に処理をするだけになる。
決まった就業時間内に、決まった期限で、決まった数の案を提出する、という社内システムが、容易に読めてくる。
問題は、この社内システムに組み込まれた企画班の社員をどうするか?と言う事、なんだよね・・・・。ITベンチャー的には。
社内機能として、モノマネ企画者をダメ出しする風土が在ればいいんだけど、
責任者が、金になると思うとGOサインを出すんだろうな…。
DeNAやサイバーエージェントが、とは言わないけど、
自分でサービスを産み出さず、他社のサービスを真似る会社に、
自らサービスを産み出す企業がつぶされると、やばいよね。
それも、日本国内の企業をつぶす場合であれば、日本的にやばいよね…。
真面目に、新サービスを開発し提供する会社が、そうした会社に、食い散らかされて、つぶされていく。しかも、食い散らかす会社が、自分でサービスを開発する企業ならまだしも、しない場合だったら、食い散らかしたら終わり。そうした会社が勝ってしまう世の中は怖いな~、と。日本の未来は真っ暗毛になるかも…。
(※思うのが、早く、3D事業にいってくれないかな~と。
3Dに手を出すには、まだ、アメリカの成功例が無いんかな~。 )
で、よく、企画を大切にしないスタンスの会社は、
「企画にこだわっていたら、上手く行かなかったとき、2転3転できないでしょ?」
というのだけど、この言葉に、違和感を感じるんですよね。
そりゃ、新しい物を産み出そうと思ったら、相当、そこに、エネルギーを掛けてこだわらないと出来ない。これを「しない」というスタンスなのだから。
新しいサービスを産み出すには、上手く行かなくても改良に次ぐ改良を粘り強く行い、やっとこさ成功する。だけど、それはする気は無くて、最後の成功の部分だけを、おいしく頂きたい、ということでしょ?要は。あわよくば、他人の成果を横取りして、ローリスクで、ハイリターンを狙っているということでしょ、と。
確かに、2転、3転しないといけない企画部分と言うのも有るけど、これは、枝葉の企画部分であって、枝葉の部分が2転、3転するからと言って、企画に力を入れないでいいという言い訳にはならない。
また、確かに、枝葉しか見れない人は、「2転、3転した!」と喚く人もいるだろうし、(※こうした人には、「企画(そこ)が重要じゃない」と言うのは、ある意味で納得してもらう言い方かもしれないけど、上手い言い方じゃないと思う)
また、本当に、芯から根こそぎ、2転、3転しているTOPもいるのも確かだけど。
あと、企画が2転3転するのは、企画者が、企画の数をこなしていないから。まだ、ペーペーのクリエイターは、2転、3転するのは当たり前。で、数をこなしていない、企画者を、リーダーにするから、2転、3転しているだけ。熟練したクリエイターは、そんなに、2転、3転しない。
まあ、なんにせよ、金と人材を使って、他人の成果を横取りする戦略は、日本という社会をボロボロにする戦略だよね。
アメリカ企業のモノマネなら、(法律を掻い潜れるけど)日本企業のモノマネは結構危ないよね。で、アメリカのITブームに乗っかれた時代は良いけど、そういう時期を越えたら自分でサービス作って行かないと厳しい様に感じる…。でも、自力でサービスを作って行くノウハウって、一朝一夕できるものかな?と…。
で、スーパークリエイターやエンジニアの人だよりになるという話なのだけど、スーパークリエイターが行き成り現れて、良い企画出して上手くいくって、そう簡単に行くのかな?と思うんだよね…。