世の中の人が表現したことのない言葉を使って、表現するのは難しい。
じゃあ、世の中の人が表現した言葉の中で、コミュニケーションすれば、いいじゃんと、想うかもしれないけど・・・・。
感じ方や、考え方、概念というものは、常に新しく生まれて行くので、過去にある表現だけで、表現し続けることなんてできない。
世の中にある、誰かが言った言葉、誰かが産み出した言葉を使ってコミュニケーションするのは、言葉がスラスラ出て簡単だけど、
誰も、世の中の人が表現したことのない言葉を使って、表現したり、
自分の心の中にある表現の仕様の無い、感情や、感覚を掴んで言葉にする、というのは相当難しい。
自分の言葉を使って話すというのは、そういうことなんだろうなと…。
言葉を作る、新しい認識の仕方を作ると言うのは、無から有を産み出す行為と同じなんだなと。言葉における、無から有の創造。
なんだけど、スラスラと言葉が出てこないと聞きたくない、
練習してスラスラしゃべれる様になったらそれを言って、と言う人は、
創造段階じゃなく完成品だけを出来たら渡して!って言う事なのだから、
常に、創造の現場からは蚊帳の外だと思う。で、完成品は、届くかどうかも分からないし…。
時間が十分にあるのなら、1分や、2分、待てばいいだけなのにね。
スラスラしたしゃべりではないけど、少しだけ忍耐して聞けば良いだけなのに、それが、出来ないんだよね…。
そうすると、他者から学べる気付き発見というものが、どんどん、無くなって行く。
日々、多くの気付き発見をする人と、日々、何も発見せず、気付きもしないで時間を送る人とでは、長期の時間が経過した時、大きな違いができていく。
それこそ、時間が経過してみると、小さな丘と、エベレスト山ぐらいに違いが出来てしまう。
だけど、それすらも人間が結論を出して判断できるものではないのだけど…。何に価値観を置くかで、何を積み上げているかは人によって違う。ある一方では、小さな丘かもしれないけど、ある一方から見ると、エベレスト程の積み上げをしているかもしれないのだけど…。