説明責任というけれど、自分から理解しようとする態度が無かったりする、と言う点。
世の多くの人は、「もっと、こうだったらいいのに。ああだったらいいのに」と、文句は言うが、
それを実現する為に自分は動きはしない。
で、動く人が現れると、その人に、「ああしろ!こうしろ!」と、さらに外野で文句を言う。
と、某テレビ番組で出演していた某企業の、社長が言っていた。
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あと、他にも、私が思うことには、
世の多くの人は、影響力のある権威のある人が正解は”白だ!”と言ったら、
自身の考えまで、正解は”白だ!”という、考えに染まってしまう。
それ以外の方法が見えなくなってしまう。
で、”嫌、正解は黒だ!”という人が現れて、
”なぜなら、これこれ、こう言う理由で、私は黒だ、と判断する”
と言う事を述べてくれない限り、成功への道は一つしか無い。
嫌、”黒”の方法が成功するまでは、成功への道は一つしかない。
で、次は、こんな事を言いだす。
「なぜ?理由を説明してくれないの?」とか、
「考えを述べてくれない。不親切だ!」と、
「簡単にできるんでしょ?それをやらないのは、人間性に問題がある!」と言いだす。
後で知って、文句を言いだすのだ…。
その時に、じっくり考える、という思考の深さを持ち合わせていなかった自分、
物事を判断する、見る目のなかった、自分の責任ではない。
分かり易く説明して教えてくれなかった人の問題。
で、皆が「白」と思っていることを「黒」の方法もある、と
論理立てて説明するのは、簡単にできるもんじゃない。
文句を言う人は、この作業が、大変な作業であるということを知らない。
労力の伴うものではなく、1秒ぐらいで簡単に出来るものだと思っている。
そもそも、これは、教えてもらえる物じゃなく、
日々の努力や行いから自分で培っていくものであり、自分で知らなきゃいけない。
で、黒だと思っている人は、できるだけ、既に、「なんとなく黒なんじゃないかな?」という考えを持っている自分に近い人を探そうとする。
説明の必要のない人と、話を進める方が早い、からだ。
だけど、見つからない場合は、あきらめて、説明方法を編み出さないといけないのだけど…。
で、なぜ、「黒である」ということを、説明することが、苦労する作業なのか?と言うと、まず、「黒だ!」と判断するのは、長い時間の末に蓄えた、
経験と知識の中から直観で感じるものだからだ。
これを、誰にでも分かり易いように、簡潔に言葉に纏めるのは難しい。
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WEBだと、さんざん、
シリコンバレーの方法は、日本では通用しない。
アメリカのモノマネのやり方だけでも道が見えない。
と、言われていて、
日本は日本のやり方で道を切り開き模索しないといけない、と、誰もが薄々、
分かっているんじゃないの?
それを、取り組まないといけないと、考えているんじゃないの?
よそのやり方は参考として知るのはいいけど、よそのやり方と一緒じゃないから、
ダメだとか・・・・。理由にならないし、バカげている。
今の現状の自分を見て、一つ一つ鍵を探していく方法でないと意味が無い。
他の人の歩んだ道を同じ様には歩めない場合、
自分の中からくみ上げる、その都度、その都度の智慧で、道を開いて行くしか方法はない。